「鼻はスッキリしているのに、なんだか鼻声っぽい」。
この感覚は、鼻の通気だけで説明できないことがあります。
日常ではまとめて「鼻声」と呼ばれがちですが、臨床・音声学では、鼻腔側の共鳴(resonance)と、鼻への空気漏れ(nasal air emission / turbulence)は分けて評価されます。
ASHA(米国言語聴覚士協会)でも、共鳴障害の中で「開鼻声」「閉鼻声」などを整理しています。 asha.org+1
※本記事は診断を目的とせず、一般向けの整理です。症状が強い/長引く場合は耳鼻科・言語聴覚領域での評価が推奨されます。
前提:鼻と口を切り替える「VP(鼻咽腔)バルブ」がある
発話では、口腔と鼻腔の“通り道”を切り替える仕組み(VP:velopharyngeal)が働きます。
※VP(鼻咽腔の弁)は、軟口蓋(やわらかい上あご)そのものの名前ではありません。
軟口蓋と喉の奥(咽頭)の壁が一緒に働いて、鼻と口の通り道を切り替える“しくみ”をまとめてこう呼びます。
この閉鎖が不十分な状態(VPI/VPD)では、開鼻声、鼻への空気漏れ、鼻雑音、圧子音が作りにくいなどが起こりうると説明されます。 MSD Manuals+2stanfordchildrens.org+2
「鼻声っぽい」の主な見立て(3系統)
1)開鼻声(hypernasality)
ASHAでは、本来“口側の有声音(特に母音)”で、鼻腔内に異常な音エネルギーが入る状態として説明されています。 asha.org
(ポイント:主に“母音が鼻声っぽい”。)
2)鼻への空気漏れ(nasal air emission / nasal turbulence)
圧が必要な子音(/p t k/など)で、空気が鼻へ逃げることで、スーッという雑音や子音の弱さとして目立つことがあります。
MSD Manualでも、VPIの所見として鼻への空気漏れ・乱流・圧子音困難が挙げられています。 MSD Manuals
3)閉鼻声(hyponasality)
ASHAでは、鼻音(m/n/ng など)で必要な鼻腔共鳴が不足する状態として整理され、鼻腔・鼻咽腔の閉塞などが背景になり得ます。 asha.org
「同じ口形でも通る/通らない」が起きる理由(例:パパ/ママ)
口唇の見た目が似ていても、
- /m/ は鼻腔側の共鳴が必要な音
- /p/ は口腔内圧が必要な音
という違いがあります。
そのため、VPバルブの協調が不安定な場合、同じ口形でも“音が通る/通らない”が起きることがあります(あくまで可能性)。 MSD Manuals+1
目安のセルフチェック(診断ではありません)
- 母音が鼻声っぽい → 開鼻声の可能性
- /p t k/ が弱い、息が抜ける、スーッと鳴る → 鼻への空気漏れ/乱流の可能性 MSD Manuals
- 鼻づまり感が強い、鼻音が出にくい → 閉鼻声の可能性 asha.org
Q&A:フランス語の un と鼻母音は「病的な鼻声」と同じですか?
Q1) un は鼻母音ですか?
多くの記述で、un は鼻母音(/œ̃/)として扱われます。
また、/œ̃/ と /ɛ̃/ が合流している変種があることも報告されています(地域差・世代差)。 国際音声学会+1
※une は鼻母音ではなく口母音+子音(/yn/)として整理されます(混同注意)。
Q2) 鼻母音=開鼻声(病的)ですか?
同じではありません。
臨床でいう開鼻声は「異常な鼻腔内音エネルギー(特に母音)」で、問題として扱われます。 asha.org
一方、鼻母音は言語の音韻体系としての“正常な鼻化”です(鼻化は言語学的カテゴリとして存在し得る)。 ウィキペディア
Q3) 鼻母音にはVPの開き(軟口蓋の下降)が必要ですか?
機構としては「VPが開く」ことが前提になります。
フランス語鼻母音について、MRIで低下した軟口蓋と咽頭後壁の間(開口部)の面積を測り、母音間の開きの差を示した研究が報告されています。 PubMed+1
Q4) 「こもり」は鼻母音のせいですか?
鼻化では、声道に鼻腔がカップリングすることで音響的な反共鳴(antiresonance)等が生じ、エネルギー分布が変化しうるため、過度になると“こもり”として知覚されることがあります(概念整理)。
ただし実際の“こもり”には、舌根後退・咽頭狭窄・顎や頬の硬さなど複合要因が関わることが多く、鼻化だけに帰すのは慎重であるべきです。
南欧式(発声教育)の補足:臨床用語とは異なる
ここからは「治療」ではなく、発声教育としての言葉です。
- 私が意図しているのは「鼻に漏らす」ことではなく、前方(鼻先〜眉間)に感じる共鳴感(振動感)を手がかりに声を安定させることです。
- 「気道の息を操作して声を作る」よりも、聴覚目標と体性感覚(振動感)で発声を導く立場を取ります。
- その意味で、フランス語の鼻母音は、VPバルブが“弁として働く”ことを理解する上で参考になります(ただし、南欧式の話声が鼻母音そのものだと主張する意図ではありません)。
結語
「鼻は通っているのに鼻声っぽい」ことがあるのは、鼻腔の通気だけでなく、VPバルブの協調や、空気・圧の逃げ方(共鳴/空気漏れ)が関係しうるためです。 MSD Manuals+1
鼻腔側の共鳴(鼻化)は言語として正常に存在し得る一方で、臨床的には“異常な過多(開鼻声)”や“鼻への空気漏れ”として問題化することがあります。 ウィキペディア+1
その境界を丁寧に見分けることが、「鼻は通るのに鼻声っぽい」違和感を言語化する第一歩になります。

