顎と呼吸・声のほんとうの話

池の中の鯉byPAKUTASO

~イメージがつくる自然な発声と、手術を考える前にできること~

はじめに

顎変形症(がくへんけいしょう)は、見た目の問題だけでなく、「噛む」「話す」「呼吸する」「眠る」という生命の基本に深く関わる症状です。治療の第一選択として外科手術が語られることもありますが、手術は一度行えば元に戻せない処置です。メリットと同時に、リスクや限界も存在します。

私がお伝えしたいのは、手術に反対することではありません。手術の前に、呼吸・発声・嚥下・睡眠を整えるという自然な方法を十分に試してほしいのです。それだけで手術が不要になる場合もありますし、手術を選ぶにしても術後の回復や長期予後が格段に改善します。

呼吸と声、嚥下と睡眠は寿命にかかわる

呼吸が乱れると脳への酸素供給が減り、自律神経やホルモン分泌が崩れます。その結果、高血圧・糖尿病・脂質異常といった生活習慣病のリスクが高まります。

発声は声の問題にとどまらず、嚥下・咀嚼・姿勢と連動しています。声の響きが乱れている時は、飲み込みや噛む力にも問題が隠れていることが多いのです。

さらに、睡眠。睡眠時に口呼吸や無呼吸が続けば、夜間の低酸素は心血管系に深刻なダメージを与えます。質の悪い睡眠は認知症リスクも高めます。

つまり、呼吸・発声・嚥下・睡眠の4つを整えることは「歌がうまくなる」ためではなく、寿命をのばす健康習慣そのものなのです。

イメージで変わる声

発声レッスンは機械的に「舌を上顎に貼り付ける」といった指示だけでは不十分です。大切なのは想像力を伴うことです。

– モネの蓮の池の中の鯉を探しながら声を響かせると、人によっては息が深く広がり、音に厚みが出ることがあります。
– 清流の藪に潜む蛍を数えながら声を出すと、人によっては息が軽やかに広がり、音に透明感が増すことがあります。

どちらが合うか何が合うかはその人の体調や感受性によって異なります。比喩を探すことが、声を開かせる決め手になります。

自然な呼吸柱

「呼吸柱」とは、体の内側に一本の流れを感じること。竹のようにしなやかで、立っても座っても寝ても保たれます。歌手が舞台で自由に動きながら歌えるのは、この柱を“自然に”保っているからです。棒立ちを意味するのではなく、姿勢や動作の中に流れる一本の通りを感じ、声のバランスを取ることが本質です。

手術を考える前に

重度の噛み合わせ異常や審美的な問題で手術が有効な場合もあります。ですが順番としては、

1. 呼吸・発声・嚥下・睡眠を整える
   – 鼻呼吸
   – 舌と口蓋の協調
   – 嚥下と咀嚼の再教育
   – 良質な睡眠(鼻呼吸+呼吸柱)
   – イメージを用いた発声訓練

2. それでも生活に支障が残るときに、リスクを理解して手術を検討する

顎は腹式呼吸の自由な柱を保つために、なるべく固定しすぎないことが望ましいとも考えられます。下あごの周囲には三叉神経や迷走神経、唾液腺などが集中しており、そこから脳へと神経や血管が走っています。そのため顎の手術はとても精密で複雑な処置であり、呼吸・声・嚥下への影響を考慮した慎重な判断が必要です。

顎変形症手術のリスクと限界

視点メリットリスク・限界
咀嚼・かみ合わせ歯が正しく噛み合い、食べ物をしっかり噛めるようになる手術後もしばらくは嚥下・咀嚼に再訓練が必要。食事制限あり
発音・声/s/ /z/ などの子音の歪みが改善する例がある共鳴路が変化し、声の響きが変わることがある。完全に元に戻らないケースもある
呼吸上顎の移動で鼻腔抵抗が下がり鼻呼吸が改善する例もある下顎単独の後退手術は気道が狭くなり、睡眠時無呼吸が悪化するリスク
審美・心理顔の非対称や突出感が改善し、自信を持てる見た目の改善が機能改善に直結するとは限らない。心理的満足度には個人差がある
全身・長期比較的短期間で構造的に改善できる神経麻痺・しびれ・再手術の可能性あり。生活習慣を変えなければ再び変形は再発し機能不全になる

イメージを使った呼吸・発声練習法(例)

– 「水面に広がる波紋」を想像しながら母音を伸ばす → 息の広がりを感じやすくなる。
– 「雲間からさす光の線」を思い浮かべて子音を出す → 声が遠くに届きやすくなる。
– 「顔の前にベールがかかっている」ように感じながら息を通す → 鼻腔共鳴と口元の解放を両立できる。

イメージは人によって異なります。合わなければ別の比喩を探せばよく、これがレッスンの醍醐味です。

まとめ

顎変形症の治療は「骨格の矯正」だけではありません。呼吸・発声・嚥下・睡眠を整えることが寿命を守る第一歩です。

まず自然な方法を試み、それでも支障が残るときにリスクを理解して手術を検討する。これが最も安全で、納得感のある選択につながります。

参考文献

  • Uesugi A. et al. Pharyngeal airway morphology after mandibular setback vs bimaxillary surgery. J Craniomaxillofac Surg. 2014.
  • Al-Dhaher H. et al. Effects of orthognathic surgery on voice characteristics. Int J Oral Maxillofac Surg. 2020.
  • Monteiro J. et al. Impact of orthognathic surgery on speech: a systematic review. J Oral Rehabil. 2023.
  • Zhou Y. et al. Respiratory function after orthognathic surgery: a cohort study. J Craniomaxillofac Surg. 2024.
  • 日本口腔外科学会 『顎変形症診療ガイドライン』2023年改訂版.